心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

原点回帰

今日、実家に行った。その帰り、僕が生まれた生家に行った。時刻は、午前12:00くらい。
そう、僕が生まれたのもこの時刻。だけど、誕生日ではないんだね。
僕が生まれたのは、今から28年前。三歳までこの生家に住んでいた。その25年後、僕は社会人になった。
周りの風景も変わった。だけど、あの頃家の前で見た横須賀線東海道線はなんとなく記憶にある。母と一緒に。その頃、弟はまだ生まれていなかった。近所にいた、I君。商店の息子だった。その彼とは、中学、高校と一緒だった。あの頃のことを母に聞くと、よく遊んでいたというが、僕はほとんど記憶がない。たった一言、「かーちゃん、メシ!」の言葉だけがかすかに頭の片隅に残っている。
僕が住んでいたのは、小さな細い路地に入ったアパート。そのアパートの前には小さな水路がむき出しに流れていたが、今では、コンクリートのふたがしてある。そして、アパートの前に大きな電波の鉄柱があった。あの頃、もっと大きく間近にあったようなきがするが今では、とても小さく感じる。そして、目の前の山。あの頃とほとんど原型が変わっていないような気がする。ただ、アパートのまん前の電柱は木製の電信柱だったが今ではすっかりコンクリートの電柱になっていた。
あと、I君の家はあの当時、もっと遠く感じていたがとても近く感じられた。ほんの数分の距離だったんだね。そして、父が月極駐車場なんかは、とてつもなく歩いた感じがしたが、思いのほか、近い。そして、駐車場の上の高速道路なんかは、あの25年前とは変わっていない。
アパートの話に戻るが、アパートの前の杉の木がなくなっている・・・。僕がI君と一緒に写っていた写真が今ではセピア色だ。家の前の道路なんかは、きちんと舗装されていなく、砂利だったような気がする。また、アパートを引き払った日、引越しのトラックがアパート前まで来たような気がするが、母の話によると、道が狭いので大通りの道路に止めていたといっていた。あれから25年、一度も母とあの生家に行っていない。あれから僕は、引越しした先の小学、中学、高校、専門、大学と歩んできた。いっちょまえにタバコも吸うようになった。弟も生まれた。その弟は神奈川県警に入隊した。
今日まで歩んできた僕の人生は生家が原点なんだなぁ・・・と思った。

もう、あの頃に戻ることはできない。だけど、今日まで支えてくれた両親に感謝したい。
ありがとう。

また、生家を見たことで忘れていた、「感謝」を思い出させたような気がする。
本当にありがとう。

あの当時、ぼろいアパートが未だに原型をそのままにして残っているのはとてもうれしい。
あのアパートがなくなったら、僕にとっての「原点回帰」ができないような気がする。

さすがに25年後、僕が今こんな風になっているなんてだれも思わないだろう。
自分が情けなくなってきた。

父に抱かれていたアパートの階段の下。アパートの上に住んでいた黒田さん。僕はその人のことを
「クロワッサン」と呼んでいたことは、覚えている。

今風の家が建ち並んでいた。今、このアパートは異彩を放っている。深夜なので人が住んでいるかなんては確認できなかった。

でも、階段が塗装されていたから、誰か住んでいるのかな?

僕の気持ちはあのアパートで一日でもいいから、住んでみたい。そして、若かりしの父と母に戻って、すれ違ってみたい。

くだらないことだけど、僕にとって原点回帰なんだから。

今、僕がこうしている時間はもう、二度と戻ってこない。今、こうしてパソコンに文字を打ち込んでいることなんて、一年後には、すっかり忘れているだろう。

だけど、父と母に抱かれていたあの時代を忘れたら、僕自身の「人間失格」になるに違いない。

あの僕の誕生を喜んでくれたあの日があったから・・・。