心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

サンセベリアの花

サンセベリアに花が咲きました。

ファーンウッド2016.1.9(撮影)ですが・・・その2か月後逝去。。。


シリンドリカ・フツラSP2016.11.26(撮影)


上記のファーンウッドは花が咲いた後、根腐れして、葉っぱも腐り、死亡。。。
シリンドリカも、葉っぱが腐りだしたりして、花が咲いた後は、死に安いというのは、定説化もしれませんね。

サンセベリア業界にて、花が咲いたら、枯れやすいというのは、本当かも?成長も止まるし、全身全霊で花を咲かせているのかもしれません。

花が咲いた年は、僕自身の運気が上昇しています。今年は顧客が増えることを祈っています。

※『はてなダイアリー』を利用して、もう13年が経過しました。まさか、こんなにブログが続くとは思いませんでした。当時はツイッターも動画サイトも全くありませんでした。今では、ブログそのものも下火傾向にあります。ですが、一番考えそのものを伝えることができるのは、ブログそのものかもしれません。はてなが続く限り、僕はブログを止めません。13年前と比べても年を取っただけで、あまり生活環境が変わっていないのです。僕自身の成長が全くないのです。ただ、白髪が増えただけと体力がなくなっただけという、成長のなさの僕です。
僕もいつ、死ぬかわかりません。なので、死んだらこのブログも消えるだろうけど、僕が生きた証しとしてたまに更新だけど、残していきます。新年早々、物騒だけど、いいことがあるように・・・僕自身に。俺自身に・・・。

Ekワゴン・ファンベルト交換

koronning2016-08-08

※ 一部画像が反転しています。なぜ、そうなるのかは、わかりません。見づらいかもしれんが、よろしくお願い申し上げます。

カバー外します。

ベルトを外すために、まず、テンショナーをドライバーで固定します。

外しました。どちらが新品かどうかは、一目瞭然。

ベルトを外した後の上からのぞいた所。

伸ばしてみました。

サイドミラーに掛けてみました。古い方は、たるんでいて、頼りない感じですね。

すべてを取り外した後は、逆順で、かけなおしてボルトを締めます。

以上

バカ外人?

koronning2015-10-15

2015.10.15の写真ですが、2017.1.4 に更新しました。

渋谷のツタヤVHSビデオを借りに行きました。今時、VHS?間違っていません。DVD販売されていない商品だからです。

タイトルは・・・秘密です。

普段、渋谷にはほどんど行くことはないんだけど、自分を「バカ外人」と卑下して日本人と交流を図っている人を発見しました。

今でもいらっしゃるのでしょうか…

どんなやり方をしても横になってしまう。なぜだろう?PCの初期化が必要かな?

新宿駅南口

koronning2015-01-10

懐かしい場所。

何年振りだろう。ここに訪れたのは。

1998年、僕はこの近辺にある不動産屋の内見アルバイトをしていた。

期間は短かったけどね。

この階段を降りた場所に喫煙所があった。今は、階段の脇に特殊スペースで仕切られているけど。

さぁ、これから神楽町まで行かないと・・・。寒いわ。

HDD分解。

HDD分解

かつて使っていたデスクトップ( PC-VL5709D)のHDD(160GB)。ボクのお古を実家に持っていき、使っていたけど新たにヤフオクで購入したので、お役御免。

分解してハードオフに持って行ったけど、本体ケースとキーボードで数百円の世界だった。

というわけで、分解開始。

細かいネジを分解して・・・





という感じで。

一応、細かくしました。

分解して捨てるだけではもったいないので・・・。

今は一応こんな感じで、一部利用しています。
これは、強力なマグネットなので、画びょうを引っ付けたり出来て便利です。

四国旅行4

koronning2014-10-04

9月24日。道後プリンスホテルのバイキングは人が大勢いたけれど、リッチでした。
るるぶ」で見た、「じゃこ天」というものを食べました。カルシウムたっぷりな感じでした。
9時過ぎにチェックアウトし、道後温泉付近を観光しました。

テレビで見る道後温泉よりも実際目の当たりにした道後温泉は今日生きている幸せ感をもたらすものでした。

近々、道後温泉本館を改装することらしいですが、今のままを残しつつ、昔からのイメージを壊さないものにしてほしいです。
やっぱ、大理石なる道後温泉本館なんて、坊ちゃんの明治時代のイメージとはかけ離れるものになるでしょうから。

道後温泉本館にしっかりとランクが一番下の420円で入浴してきました。実は、道後プリンスホテルでフロントの人に帰り際、道後温泉本館に行くと伝えたら、石鹸とタオルをプレゼントしてくれました。ありがとうございました。

とても おもてなし の気持ちが伝わりました。また、ポンパレで安くできたら、お邪魔したいと思います

この日は、最後のコテージである、高知県の城西館に向かいます。

国道33号線をひた走りました。後からネットで途中の「三宅峠」は四国で一番難所な道路だと聞いていたけれど、こっちでは 秦野のヤビツ峠草津温泉や道志道など走っていますので、あまり違和感はありませんでした。ただ、軽自動車なので、ちょっときつかったかもしれません。

途中、「天空の郷 さんさん」という道の駅で休憩しました。父の土産にヨモギ餅(あんこ入り)らしきものを3つ購入しました。(後日、父が食べたかどうか母に尋ねると・・・食べてないそうです。母が完食したそうです。相変わらず頑固だ。)その場で食べることもできます。焼きたてというより、裏でレンジで「チン」をして渡していました。一つ100円也。


高知市内に近づき、ガソリンが減ったので157円の看板がある独自ブランドのスタンドに入りました。ですが、クレジットだと2円割増だったのでショックでした。このころ、雨脚が強くなってきました。

城西館は33号線沿いなので、松山方面から来れば、右側になります。道路は路面電車が走っていますし、無理な右折はできません。城西館を右に通り過ぎ、適当な所で左折右折右折を繰り返し、城西館が左側に来るように走りました。目の前になってどうやって入っていいのかわからず、城西館に電話しました。雨が強かったです。電話すると電波の調子が悪いのか、聞き取れないよな感じだったので「ガチャリ」と切られてしまいました。

ちょっと、カチンと頭に来たので、フロントに文句を言おうと思っていたけれど、車が入る入口からご丁寧なお出迎えがあり、さらに、フロントに行くと、すかさず『先ほどは大変失礼しました』と謝られてしまい、怒る気が失せるどころか、大変素晴らしい設備やおもてなしの気持ちがあり、気分爽快になってしまいました。荷物はさすが高級旅館。荷物も全部お持ちいただき、さらに、豪華なお部屋へ。部屋の窓からは山々が雄々しく見え、眺めが素晴らしかったです。

エレベーターは静かにしまり、廊下はリラクゼーションなる音楽が流れていて、銀座の料亭に来ているような気分でした。ちなみに、昭和天皇、平成天皇白鵬長嶋茂雄田中角栄吉田茂など、著名人もお泊りになられていたそうで、品のある旅館でした。

風呂は温泉ではありませんが、(実は僕が温泉だと思い込み、母には「温泉」だと言ってしまいました。未だに僕は「温泉」のまま通しています。ごめんなさい。この件は、墓場まで持っていくつもりです)露天風呂と室内があるのですが、露天は雨で雨ざらしの湯になるので室内風呂にしました。どこかの老人会なのかわかりませんが、内風呂には大勢いたのでリラックスできませんでした。ですが、馬油のボディ・ヘアシャン・コンディショナーだったのがとてもよかったです。

食事は部屋でした。前日に続き、伊勢海老は出ませんでしたが、アワビは出ました。アワビという高級食材が出てくるという当たり前さに自分自身が怖くなりました。落ちていく前触れです。気を引き締めなくては。あと、チャンバラ貝という不思議な貝を食することができました。コリっとツルッと食べました。

また、布団を敷いてくれるのですが、2人が来て、息がぴったりの作業を開始しました。動画に取ろうかと思ったけれど、そんな時間もないくらい、短時間でピシっと作業をされ帰られました。おしいことをしました。

朝起きてバイキングです。一階に向かいます。僕はバイキングに驚きました。あまりにも豪華すぎて。そして、うまい!!

起きてから30分くらいしか経ってないのに、たくさん食べることができました。ありえません。

プリンスを超えていました。人生の中で最高のバイキングでした。ちなみに最高な夕食は道後プリンスホテルでした。

前日、露天風呂に行けなかったので食事後に露天風呂に向かいました。9時までだったのでその15分前に行き、入ってきました。
この日はすでに晴れていたので、高知市内がよく見渡せました。母もそれに合わせて、露天に向かっていました。

チェックアウトを10時過ぎにし、車に乗り込もうとするとかなりご高齢なおばあちゃんが飴を配っていました。多分この人は若き日に天皇陛下と写真に写っていた人かもしれないと母と話をしました。城西館駐車料金 500円

この日は桂浜に向かいました。母が小学校の時にここも遠足で来たことがあるそうです。前日の台風の影響もあって、波が少し荒れていました。
桂浜って「我は海の子」の情景にすごくぴったりな場所です。エメラルドな海と松林。桂浜ではセミ(たぶんツクツクホウシ)が鳴いていました。
それもたくさん鳴いていました。横浜ではすでに蝉の声なんて消えていたので、常夏気分も同時に味わえました。



また、母が小さい頃、桂浜に「石の飴」を買って食べた記憶があるそうなので、桂浜にある売店で訊ねようとしたところ、別の高齢女性が「石の飴」について売店の店員に聞いていたそうです。ですが、その製造している会社が倒産したとのことで、売ってないそうです。
帰ってから父も同じようなことを聞いていたので、きっと父も子供の頃、食したことがあったのでしょう。

昔あったものが一つ一つ消えていくさみしさは、人の人生とダブルところがあります。

ちなみに桂浜の駐車場では400円取られました。

駐車場を出て、次は竜馬記念館に行きました。眺めが最高です。また、ロビーでは竜馬を解説しているDVDが延々と流れていました。そのナレーションは、あの武田鉄矢です。

竜馬記念館を出て、県道32号線で阿波池田方面に向かって帰ろうとしましたが、高知市内で少し迷いました。高知駅前T字路を右に曲がり、横で母が印刷した地図を見て「次はそこをまがった方がいいんじゃない」と言ってくれて助かりました。ありがとう。

途中、高知自動車道を通ろうと思ったけれど、山道運転が好きなので32号線を走り続けました。その恩恵は当たりました。桂浜を出発してから一度もトイレ休憩もしていなかったので、道の駅に入ろうと思っていたけれど、「日本一の大杉」の看板があったので、そちらに向かいました。いつもは道の駅に車を止めてから歩くパターンが多いけれど、なぜか、直接「大杉」まで車で行ってしまったのです。まるで、導かれたようでした。そこには、日本一の大杉と題された、屋久島より大きい樹齢推定3000年と言われる大杉と出会うことができました。自然が大好きな僕に最後のプレゼントをしてくれたようです。
ちなみに、美空ひばりもこの付近で事故に遭い、この大杉を訪れたとのことです。



時間があったら、祖谷のかずら橋も行く予定だったけれど、蔓橋まで13キロの地点で16:30を回っていたのであきらめました。2005年の時には一人で行ったんだけれどもね。

帰りは192号線の途中にある焼肉食べ放題(90分・無制限)で食事をしました。店を出たのが18:40位。じいちゃん、ばあちゃんが最期に居た老人ホームの横を通った。ここで、じいちゃん、ばあちゃんが下りてくれたと思うし、もし降りなくてもお墓から192号線が見えるから、飛んで自分のお墓まで行ったかもしれないと運転しながら思った。そうしてやっているうちにマルナカ・山川店でコーヒーなどを母が買ってくれて、しばらく走り、吉野川市の警察署近くのエッソでスピードパスで給油。そのまま国道を走るのが面倒になってきたので、適当に高速に入ろうとしたら少し迷い、結果、徳島道・板野ICから乗った。あれっ?板野って21日に降りたところだよね。また、その道を市内方面に向かえばばぁちゃんが入院していた徳島病院・・・。

たぶん、軽自動車の後部は旅行の荷物が散乱していたけれど、祖父母が乗っていたんだと。ごめんね。居心地が悪くて。

出世したらいい車でちゃんとスペースができるような車で逢いにいくからさ。そうなるように見守り、導いてね。よろしくね。ありがとう。

備忘録・・・

板野から鳴門本線 21:46チェック。390円
鳴門本線から垂水第二 21:46チェック。4270円▲1800円=2470円
須磨 21:51 チェック。210円
須磨合併から松原本線出口(阪神高速) チェック21:51 930円
松原本線 22:40 チェック。310円
天理 22:59 チェック。310円
亀山から横浜町田 5:57 チェック。6780円▲2040円=4740円 也。

母を降ろして、少し実家で休憩。6:40頃、実家を出る。保土ヶ谷バイパスを通り、
相模原の自宅に着いたのが 8:15。少し渋滞していたからね。

※ 不思議なこと・・・はじめ墓参り等は8月27日から30日位に行こうと思っていた。だけど、母が同窓会に出席するために9月に延期。
その母が8月23日に中華街で足を2度も挫く。25日骨折判明。今回メインは墓参り。だけど、神奈川から行くのに、1泊やその辺で帰るのはもったいないということ。そして、淡路島で落ち合えば、その後一緒に回れるという計画。はじめ楽天トラベルで探していたけれど、どこもかしこも高い。脳裏にふと、かつて登録したことがあったポンパレを思い出した。そうしたら、コテージをどこにするか決めようとポンパレを開くと、ハイクラスホテルの四国がポチポチと出ていて、さっそく、二人とも体験したことがない、素晴らしい旅行にすることができた。
※ ただ、どこの旅館も食事内容において、『ポンパレ様』に対する、差別があると思います。料金を安く提供してくれているのだから仕方がない面々もありますが・・・。購入ページの料理の写真と微妙に違います。
たぶん、母のおばあちゃんの恩恵だと思っている。今でもそうだけど、ばあちゃんがいつも近くにいて、サポートしてくれている気がするからだ。ありがとうおばあちゃん。
そして・・・無事、地元に帰ってくることができたこと。(別に奇跡でもなく、当たり前のことではあるが・・・)

なんだかんだでほぼ、「四国一周」したことになる。備忘として、相模原を出発し、相模原に帰って来るまで総走行距離 1950km
僕の車の総走行距離 約11万キロ。(2014.10.1現在)