ふと見かけたある日の友達
5月8日、スキヤでねぎ玉牛丼を食べた。僕の近くに、大学生くらいの男同士が仲良くご飯を食べていた。どこか、親しげに、また、どこか一身同体のような感じがして、とても仲がよさそうだった。
男友達って、なんかいいよね。かっこつける必要もないし、本音で向き合える。
ここでいう、男友達という定義は、「親友」に読み替えて欲しい。
たまに、ネットサーフィンで仲のいいものどうしが、仲良く「ピース」したりして、楽しげな写真があったりする。とってもうらやましい。
たとえば、クラスで仲のいい友達がいたとする。だけど、本当の真価を問われるのは、別のクラスになってから、また、卒業してからも今のままの関係でいれるかどうかだ。
これからもずっと、付き合いたいんだったら、今の自分を変えなきゃいい。でも、もし変わろうとしてもそれに「受け入れ」がなければ、その友達は去っていく。
僕は、どちらかというと前者だ。変わりたくない。だけど、ユーミンのうたのように、「人ごみに流されて変わっていく私を」とあるように、歳を重ねるにつれ、見えないところで僕自身も変化しているに違いない。だけど、どんな色に染まっても、赤と青が混ざり、紫になっても、友達といえる真の友情を見つけたときがその人の価値を決めるものだと思う。