心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

西村君とスエツグさん

今日は、考えごとしていて一睡もしていない。んん・・・なぜだろう?

なぜか「西村君」のことを思い出した。西村という姓にであったのは、数知れないが、今回の「西村君」とは
僕が保育園の時の西村君。。。

西村君は、僕が保育園の時に転向して来た子。喧嘩は強く、あまり泣くのをみたことがなかった。また、ドッジボールがとても上手だったのを記憶している。

なぜ、西村君を思い出したのかはわからない。一年に一回くらい思い出すかださないか?
たぶん、彼は僕のことを忘れているのだろうと思う。

彼と園内で遊んだ記憶はほとんどない。だが、一度放課後、日が暮れるまで二人で遊んだ記憶がある。ドッジボールをやったような記憶がある。またそのとき、鬼ごっこをした記憶がある。ただそれだけの記憶。

何かわからないけど、とてもノスタルジーな思い出だ。とりわけ楽しかったわけではない。なのにあれから25年も前のことを覚えている。とても神がかりな感じだ。

その西村君は、いつのまにか消えてしまった。いや、たぶん転向したんだろうか?下の名前は「シュンタロウ」だったような?僕は園児ながらも「シュンタロウ」の「俊」の字だけは覚えている。とても僕にとって不思議な子だ。

保育園にいる期間が短かったからだろうか?彼は卒園にも写真は写っていない。あの頃の僕はとても記憶力がよかったので、お別れ会なんかは覚えているはずなのに、なぜか記憶がない。たぶん、家庭の事情とかの「突発的」なものだったのだろう。

事実僕の記憶の中には彼の家に一度だけお邪魔したときがある。それも上記の一日のみだ。今思えば借家のようで、薄暗く、お世辞なしに、裕福な感じの子ではなかったと思う。当時園児の記憶だし、25年も前のことの話だから、ズレがあってもおかしくはないが、僕の印象はそんな感じだ。

あと、よくおもらししていた「スエツグ カナ」ちゃんも記憶がある。彼女は、転向して来た日、徳島のおばあちゃんに電話で「今日ね、スエツグカナちゃんという子が来たんだよ」という話を電話口で言った記憶がある。相手のおばあちゃんは、内容はわかっていなかったがと思うが、そう、言った記憶がある。また、彼女の場合、お別れ会をして、最後にみんなと握手をし、僕に唇を結びながら、固い握手をしたのを覚えている。それきり、彼女の記憶は途切れた。


僕はなんとなく会いたいと思う。今彼彼女らが何をしているのかが・・・。

僕の中の記憶の不思議な子。。。もしかしたら、遠い記憶のため、苗字が間違っているのかもしれないが、、、。

僕は昭和51年生まれ。横浜市の保育園に居た。もし、これを見たら(見ることがないか?)、一報欲しいものだ。