心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

河童のクゥと夏休み

新宿のツタヤでカード更新を兼ねてレンタルしてきました。

ちょっと早い夏休み。

レビュー:何かスッキリしませんでした。内容云々じゃなく、人間の素性として。人間のエゴによる未熟さ。人間って結構「完成品」だと思っていたけど、画面を通してそうじゃないと強く思った。
だけど、涙が止まらなかった。なぜだろう?やっぱ、人間は人間。河童は河童。ストーリの中で河童は擬人化しているけど、共生はできなかった。「オッサン」が身をもって教えてくれた気がする。(クゥで感動するよりも、オッサンの回想が一番感動した。オッサンとクゥを主人公にしたらもっと面白いとも思った。)
そう思ったら、自然界に生きているカブトムシやカマキリも同じだろう。これから子供達も夏休み突入。
自然と触れ合うのもいいだろうし、生き物の生態をしるのもいいと思う。だけど、やっぱ、それぞれのカテゴリーの中でしか生きられないこともこの歳になって改めて知った。

今、洞爺湖サミットが開かれている。環境問題が中心だ。僕はこの時期に観ることが出来てとてもよかった。人間中心主義によって、これまで数々の環境変化を変遷してきた。河童だってそうだ。

今一度、今置かれている自身の身近な環境問題について考えよう。
そうすれば、「クゥが住める環境」に少しでも近づくかもしれない。

たとえ、河童やツチノコを見つけたとしても、「温かい目」で見守ってあげることが、唯一の『やさしさ』だろうか。

※今僕は西東京市に住んでいる。映画のストーリーの中で、東久留米市清瀬などとても近い。さらに、遠野は僕が2年前に行ったところ。座敷わらしのいるところだって。。。結構CGを用いて、鮮明に描写されていた。
もう一度、あの「時間」に戻りたくなった。こうして考えると、この「河童とクゥの夏休み」は必然的に「観なくてはならないもの」だったのだろうか?また、僕自身の小学生時代の夏休みにふと帰りたくなった。あの頃はピュアだったなぁ・・・。