心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

必然?or偶然?(念ずれば花開く)

今日、ふと、11年前の手帳を引っ張り出して見覚えのある文字に惹かれた。あの頃の僕の行動記録だ。要は手帳のこと。
すっかりと忘れていたことを思い出した。
1997年のあの日のことを。。。

1997年の今頃、僕は東京の専門学校に通っていた。就職も決まって、自由な生き方を満喫していた。

その頃の僕は、警備員のアルバイトをしていた。

東京のアッチコッチと警備を張りに行っていた。その中で「保谷」の現場もこなした。不思議なことに一番ここが記憶にある仕事場であった。

仕事の依頼はNTT保谷から。現場はすぐ近くの「中町」交差点。。。(のはず)。だって、NTT保谷からまっすぐ歩いた記憶があるから。その頃の僕は、埼玉県蕨市に住んでいた。初めの数回は、電車で行った記憶があるけれど、あとはずっとバイクで保谷まで通勤した。とは言っても、7回くらいだけど。

なぜ、ここが一番記憶があるかって?それは自分でもわからない。でも色々なことがあった。相方とうまく息が合わなくって、車両をストップさせるのもバラバラだったりしてよく怒られた。また、僕の近くでタクシーの客がゲロ吐いた。現場監督がよくジュースをおごってくれた。なんとなく、「妙な期待感」があの当時からあった。

僕は夜勤専門だったから、車の通りは少なかった。また、中町の交差点はもっと広く感じた。そこで、先ほど、チャリで見に行った。NTT保谷そして中町交差点。確かにあった。記憶に近い。

でもまたどうして、保谷に?自分でもわからない。だけど、少しの思いって何らかの将来に向けての形になるのでは・・・と思った。それは、「うちの子にかぎって」の世代の僕は、吉祥寺のロケ現場を見たいと思っていた。それが今ではチャリでいける範囲になった。でも、住んでから一度も行っていない。(小学校などのロケ現場)。また、引越ししたとき、「保谷」といっても「前に来たことがある」なんて考えてもなかった。「中町」だって。だけど、今一度手帳を見返してみると、確かに僕の「足跡」があった。不思議だ。なんて不思議だ。この広い日本で、なぜか、アルバイトだったけど、一番記憶にある現場の近くに住むなんて。

あれから、11年。僕は32歳になった。あの頃の仲間はもう、仕事を辞めているだろう。なんとなく顔を覚えているけど、名前は忘れた。元気にしているかな?

不思議なことだけど、次はどこの地縁があるのだろうか?金八が好きだから、北千住付近?それとも温泉が好きだから、富士山の方?この先どうなるのかはわからないけど、「念ずれば花開く」そうなりたい。