心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

あの日・あの時・帰り道

何となく昔通った地元の道に午前5時くらいに到着。ただ、ドンキホーテに寄るつもりだったけど、閉店時間に間に合わないのでそのまま、横浜に向かった。

到着し、高校時代の通学路の途中(少年野球のときのグランド跡。今は環状線になっている)に車を止め、そこから約30分の道のりを歩いた。

当時の僕の少年野球チームのグランドは、すっかり、夜間80kmくらいのスピードで車が駆け抜けている。小学校3年生のときに「学校周辺を調べよう」ということで、ちょっとした校外学習をしたときに僕らのグランドに「環状2号線建設予定」という看板が掲げてあったのを覚えている。昭和60年のことだ。

そのグランドの前はカーブした少し急な坂だったのに、今では歩道橋を使わないと対置にいけない。坂も環状線開発の為に緩やかな坂になってしまった。相当土砂を盛ったのかな?

坂を下り、少し行くと昔よく「立ち読み」した本屋が見えるんだけど、今ではコンビニになっている。その近くには高校受験の為に証明写真を撮った写真屋がある。これから綴る上で余談ではないが、もし、僕の出身高校が合格させてくれなかったら今の僕は絶対にありえなく、存在しない。大学に行く事だって、勉強する喜びなど・・・知りえなかった。それだけ僕の人生にとって大きなウェートを占めている。

暫くするとローソンがあり、その裏を自転車で通学時、いつものように通った道。
環状2号線により、その面影はまったくない。確か、高校三年の卒業間近だったと思うけど、そのローソンの裏の道脇にあった結構大きな家、取り壊し作業していたなぁ・・・。

そしてその裏の道にしたって、高校在学中、空き地だった。それも少し今の土地よりも高低が下がっていたはずだ。当時歩いた道は、環状線の道で言ったら、第2車線くらいの場所だっただろう。

まさか、こんなに「進化」するなんて・・・。驚愕だった。とってもつらかった。

あの頃は開発されて便利になったらいいなぁ・・・って思ったりしていたけど、いざ、それが現実になったら、もう取り戻すことが出来ない現状に胸を締め付けられる。

失うものがあるかぎり、手に入れるものもあることを改めて気づかされた。

たとえ、あの当時を模倣して過去に回帰できるようにしても、あの当時の木や土や雑草までは再現できまい。

でも、街も進化しない限り、人も進化しない。当然ながら進化しなくてはならないんだけど、思い出の中でしか、昔見た風景が生きられないことにとてつもなくつらさがこみ上げる。

あの当時は、当たり前だった風景。。。でも当たり前でなくなったときにいつも気がつくに違いない。いつも思うんだけど、こうした「思い出の保存の失敗」をいつも僕は繰り返している。

親だっていつかは引退するし、当たり前のように談笑していた事だっていつかはなくなってしまう。友達と喧嘩した時だって、後から「喧嘩しなけりゃよかったなぁ・・・」って思うことも多々ある。

でも、僕は失敗してしまう。

もっと今を大切に生きなければ・・・。そう、回帰したときにいつも思わせられる。

街の進化は、その分、僕も歳をとったわけであり、当然ながら成長していなければならない。でも、僕は街の進化に追いついていない。

便利さを追い求めた国の政策によって、あの当時に戻れるのは記憶しかない。

このときばかりは、国をうらみたくなってくる。なんて、わがままな人間だろうとつくづく思う。