心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

あだ名

「あだ名」君は一体何て呼ばれていたの?

なぜか、突然思い出した。。。

僕、小学校の頃から未だに僻みっぽい性格が治っていない。。。一種の病気だろう。

僕は、小学校から中学校にかけて、苗字の「上の名前」を呼び捨てにされるのがとてもイヤだった。また、「下の名前」も呼び捨てにされるのがとてもイヤだった。

どこかなめられているような気がしたからだ。また、呼び捨てではなく、苗字や人物からついたあだ名を呼んで欲しかった。なぜなら、あの頃って、あだ名が付いている奴って、どこか人気があったからだ。また、女子にもよく、モテテいたと思う。

また、一番屈辱だったのが、先生からあだ名で呼んでもらっていた奴だ。まぁ、かわいがられていたんだから、仕方がない。と諦めるしかないか。

そんなあだ名での「いじめ」をちょっと、語りたい。

僕とよく、つるんでいた奴がクラスの女子からも担任からもあだ名で呼ばれていた奴がいた。僕は、悔しかった。「なんで、もっと俺に振り向いてくれないの?」とまで思っていた。だから、そいつをいじめた。「『に●●ん』と先生が呼んだらお前をぶっ飛ばすぞ」と。そいつは、先生に言いつけた。僕は担任から「ねぇ、『に●●ん』と呼んだらぶっ飛ばすといったの?もしかして、ひがんでいるの?」と言われた。僕は、あの当時、先生に嘘を言った。「そのあだ名は、彼をいじめる時に何か、きっかけとなるものが欲しかったから・・・」と先生に嘘を言った。先生は、疑念を持ちながらも、黙っていた。でも・・・
よく考えてみれば、「ひがんでいるの?」というセリフは、もしかしたら、意図的?
俺とに●●んとの差別を図ったつもり?まぁ、僕は上の苗字でしか呼ばれていなかったけど・・・。
この当時小学6年生。。。


まぁ、要は嫌われていたんだね。。。この歳になってようやくわかったよ。
でも、幼心は気づいてよ。

まぁ、小学校の時の担任たちはまったく、けしからん奴ばっかだった。
それらを列挙していくと
1年1組・2年1組担任・・・創立10周年記念のおみこしを担げなくさせられた。みこしの飾りつけの空き缶まで集めたのに・・・。僕は泣いた。。。
3年4組担任・・・クラスにPTA会長の息子がいて、そいつをひいきばかりしていた。また、
勉強が出来て、スポーツも万能な子をひいきしていた。
4年4組担任・・・やたらと目をつけられた。一番覚えているのが、机の脇にスケッチブック(当時イラスト部に所属)をかけていたのだが、そのスケッチブックの金具が入れていたビニールから飛び出していて、先生のスカートを引っ掛けてしまった。先生は、怒りに満ちた顔で、「ねぇ、先生のスカート破けたじゃない?どうしてくれるの?スケッチブックは通路には置かないでっていったでしょ」と言われた。僕は泣いた。10歳の少年にそんな怒り方
をしなくても・・・。その先生4年生が終わる頃に退職した。あの当時50くらいだったと思う。なんでだろう・・・?もしかして、僕が原因?
5年2組.6年2組担任・・・上記にあるような教師。当時、大学を卒業し、新任の教師として僕のクラス5年2組の担任になった。

そんなことが生きている課程でありました。

また、中学・高校は怒りがこみ上げてきた時にまた、書きます。いつになるかわからないけど。

ちなみに、
中学は
1年10組
2年10組
3年5組

高校は、
1年10組
2年1組
3年9組

であります。


でも、本当、中学、高校はいい先生が多かったなぁ・・・。嫌な先生もいたけど。

がんがれ!自分!!
がんがれ!俺!!
がんがれ!僕!!!