心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

林間学校

今から、21年前のことになるのだなぁ〜。僕は小学5年だった。初めてのお泊りであった。

ふっと思い出した、今朝の早朝。でも、かなり記憶はあいまいになっている。

小学校に大型バス4台が到着して、その後、すぐ出発した。だけど、女子の2名(いつも酔う奴)がいきなりゲロ。

これがとてもよく覚えている。なぜなら、僕の後ろがこの2名だったからだ。

その後、「どっか」についたのだろう。綺麗に覚えていない。その後、永遠と歩き続けた。

でも、この山登りで、一番覚えているのが神奈川県・山梨県静岡県の同時に境目の地点に行った事だ。今ではしょっちゅう県外に逃亡するのに、あの当時はあまり、県外からでることがなかったから、とても新鮮に覚えている。ただ、あの場所はどこだったのだろうか?機会があったら、すぐにでも行きたいくらいだ。もし、わかる人がいたら、教えて欲しいと思う。


また、途中、高い瓦礫のような小さい山に、見渡す限りの広い荒野が見えた記憶がある。そこでの記憶は、山の天気は変わりやすいということを身をもって体感したことだ。晴れていたと思ったら、突然雨になる。11歳の僕にとってとても貴重だった。この場所もどこかわからない。ただ、上記の3分岐地点より後の事は覚えている。

また、山登りって、初体験だったし、夏の林間学校なのでとても暑かった。だから、もっていた水筒の水をガブガブ飲んでしまって、途中で切らしてしまった。あの時、僕は1班だったので、歩くときも集団で登っていたのだけど、仲間の1名を除いてみんな水筒の水を切らしてしまった。だけどその1名様は、しっかりとペース配分をして水を補給していた。
途中休憩が入ったのだけど飲めない。みんな極限状態になっていた。そこで、今でも覚えている男性の中山先生という人が「ここで、水をもらうって言うのは、命の恩人だ。感謝しなければならない。」とおっしゃった。そこで、その1名君に水筒に入っている水をもらったら、ホットの麦茶だった。いや、最初は冷麦茶だったに違いない。だけど、この極限状態で文句は言えない。「ありがたく」いただいた。

その後、山中湖付近に下山し、バスで少し走ったら、旅館に着いた。今でもその旅館は湖畔にある。いつも温泉に行くときに通るからだ。未だ健在である。

その旅館でのエピソード。夜、枕投げを男女混合でやった。これって定番かもしれない。あの時、こんなに男女仲がよかったのだろうか?と思ったくらい。楽しんだ。とても楽しかった。でもその後、僕は、くしゃみが止まらなかった。なぜなら、アレルギーもちだからだ。多分、綿毛が鼻腔に挿入されたのだろうと思う。ついでに、のども痛かった。

その後みんな疲れて、お休みタイムになった。旅館を出るとき、何号室だったかはわからないけど、部屋の入口の柱に当時の身長の丈を軽く鉛筆で記してしまった。不法行為時から20年経過しているから時効だよね。ごめんなさい。だけど、僕にとってとても大きな思い出になりました。多分、今は掃除とかで自然消滅してしまったのかもしれないけど。

最後に、その旅館で買った、ボールペンつきのマリモ。そして、翌日の早朝、山中湖で拾った富士山の隕石・・・じゃなかった、溶岩の石。今でもボールペンは実家に。溶岩は、僕の部屋にあります。

林間学校に行かせてくれた両親と思い出を造ってくださった学校のみんなありがとう。。。。


これは林間学校だけど、CO2漏ガスで修学旅行が台無しになってしまった小学校がある。こんなことを今書くのは不謹慎かもしれないけど、こうした、小さな喜びを最悪な結果で終わってしまった修学旅行もある。たとえ振り替え修学旅行を慣行したとしても、一番最初の旅行こそが一番の思い出になると僕は思う。

人生何が起こるのかはわからない。だからこそ、小さな発見や喜びを大切にしなくてはならないと思う。
(多分、これで、今朝早く眼が覚めたのかな?)