悲しみの底辺から
今年も、戦争番組が多々放送されている。
ほぼ、毎年のように、「火垂の墓」が放送されている。
せっちゃんの健気さ。清二君の素直さと純粋さ。いつも惹かれる。
つい、さっきまで笑っていた人が一瞬のうちにすべてを奪い去る。
その時、家族がいて、兄弟がいて、また恋人がいて・・・未来を奪い去る。
この戦前、戦中、日本のために召集されることは、とっても光栄なものだったそうだ。
日本のために死んでいく。見当違いだが、オリンピックと似ている。お国のため。お国のため。
父は何のために、家族を養い、母は、何のために、子供を育てていたのだろう。すべては、祖国のためにすべてを投げ出す
人材を育てるため?
仮にそうだとしても、本心でそう思ってはいない。
誰だって、家族が消えることなんて望んでいないのだから。
あの時、日本中が洗脳されていた。首脳思想の一つで粉々に打ち砕くというのは恐ろしい。
まるで、新入社員研修に似ているとつくづく思う。
その研修の思想についていけない人間は去っていく。僕もそうだ。
でも、「はだしのゲン」のお父さんは、とっても強くて、かっこいい。
どんな逆境であっても、自らの思想を貫き通したのだから。
たとえ、たった一人、みんなと違う思想を持っていたとしても、しっかりとした理屈・理由があれば、いいのではないかと思う。ただ、不当・違法なことは除いて。
ドラッグで日本はゆれている。たとえ、合法ドラッグだとしても、何が合法で、何が適法なのか?その理屈をしっかりといえるやつは少ないと思う。
つまり、僕の思想は、合法だとしても、それが、違法なことと紙一重であるかぎり、厳罰に取り締まるべきだと思う。
物に頼って、違う自分を見つけることは、決していいわけではない。お酒でもそう。飲んで忘れることは、ただ、吐くまで飲む。という主観に結びつく。
自らを壊すおそれもある。ただ、公衆でゲロを吐いてほしくない、という僕の切なる願いだ。