心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

西川口紀行

koronning2009-12-25

12.3年前に住んでいた蕨市。だけど最寄り駅は西川口駅。あの頃はヤマハ JOGZというスポーツタイプの原付。今は、ヤマハBJの原付。今日、バイクで僕が住んでいたあたりを12.3年ぶりに「原付」で走ってみた。

当然ながらあの頃とは変わっていた。

西川口と蕨を結ぶ、県道のJOM。生まれて初めて自動車を買った ダイハツ リーザターボの給油をしたJOM。シャッターが閉まっていた。でも、閉店したのは最近だと思う。なぜなら、今乗っている三菱・EKワゴンを埼玉で買った。その納車の帰りにそのジョモで給油したから。なにか、寂しい。この時は芳香剤を入れてくれなかったけど、その当時は給油をしたら灰皿に芳香剤を無料で入れてくれていた。

・そして、12.3年ぶりに足を踏み入れた西川口駅から少し離れたツタヤ。僕が住んでいた頃にオープンした。オープン前にはテントを張って入会金なしに入会できた。確か、97年5月。今でもそこの会員証を持っている。あと、駐車場が管理方式になっていて、駐車券がなければ、だめなような方式になっていた。初めての車ダイハツ・リーザターボの車庫入れを深夜閉店後に一人で車庫入れの練習をしていて、そこでバッテリーが上がってしまった。その車はマニュアルだったので、何度も何度もエンストをこいて、そして中古で買って、バッテリーを交換していなかったから上がってしまった。その後、中古で買った後は、バッテリー交換をするということを勉強した。ちょっと話がそれてしまったけど、バッテリー上がりの後、ジャフを呼んで、充電してもらい、15000円を取られた(深夜料金を含む)。その後まだ、バッテリー交換の術を知らなかったので、上記のJOMでバッテリー交換をしてもらった。たしか3980円?位とられた記憶がある。

・続いて西川口前の松屋。僕が住んでいた頃にオープンした。よく、カレーを食べていたのを思い出した。たしか、オープンしてから1ヶ月くらいで小火(ボヤ)が合った気がする。学校から帰ってきたら、松屋の前に消防車が止まっていて、煙が充満していた。


・駅前のクリーニング屋。当時警備員をやっていて、最後のユニホームをそこで出したこと。まだ、「生きていた」

・あと、居酒屋(紫の看板・・・たぶん●源かな?)あったんだけど、どこいったのだろう?朝、通学途中にゲロがあったり、酔っ払いが朝っぱらから寝ていた。24時間営業だったからかな?

西川口駅がとても変わっていたこと。きれいに改装されていた。下にスーパーマーケットがあったり(あの当時、なかった気がする。)駅に行くために階段を上るところがとても整備されていて、その途中にラーメン屋があった。今だったら、舌が肥えているから評価は厳しくなると思うけど、あの当時、そのラーメン屋にはバターが入ったラーメンがあった。ちょっと、ピリ辛の味で、北海道風味のラーメンだった。今日、行ったときに食べようと思ったけど、そのラーメン屋がなかった。

・駅の改札も当然変わった。とてもきれいだ。あの当時、僕が踏んだ駅の階段や廊下はもうない。僕のこと忘れてしまったのかな?

・駅前のファミマもあった。あまり利用はした記憶はないけど、あったことがとてもうれしかった。

・僕が蕨に住んだのが、97年2月1日。就職が決まったのが同年4月下旬。だからその後、あまり学校に行かなくなってしまったけど、西川口に行くために、引っ越した頃は徒歩で行ったけど、段々面倒になってきて、チャリでいくようになり、駅前に有料の駐輪場があったけど、ちょっと離れたところに止めていたことを思い出した。一度もレッカーされなかったけど、どうしてもあまり思い出せなかった。ただ、近くに上青木郵便局があったので、よくそこで仕送りのお金をおろしたなぁ〜って感慨にふけった。

今日はそんなところ。

帰りにドンキー蕨店にて買い物して帰った。

段々と街並みが変わっていく。俺も成長しなくてはならないのか。思い出だけが残っている。それだけ、僕も歳をとったこと。

もう、誰も知らない街の中でたった一人、そう思った。