心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

訃報

koronning2011-03-14

先日11日に東北地方を震源とする大地震が発生しました。

だけど、僕にとってはそれよりも身にしみる悲しみがあります。

3月14日 朝8:30に母方の祖父が亡くなりました。享年99歳。

戦争を体験し、そこで上官から殴られ両耳がほとんど、聞こえないような状態になりました。その後、大工を生業とし、5人の子供を育てました。

おじいちゃんは両耳が聞こえなかったせいもあって、あまり生前コミュニケーションをとる機会が余りありませんでした。

徳島に行っても、おばあちゃんと話すことが多く、おじいちゃんをないがしろにしていた部分があったのかもしれません。ごめんなさい。

おじいちゃんとの想い出は、助手席でおじいちゃんの膝に乗って、祖谷に行ったこと。
その間、おじいちゃんの手が僕の手の甲に当たっていて、おじいちゃんの草を刈ったときの汚れでしょうか、緑の着色が付着していたこと。

また、小学生の時、一緒にお風呂に入った時、「ユウジはのぅ・・・」とよく言っていたのを覚えています。その他、「先生のいうことを良く聞き・・・勉強をしっかりとせんといかん」とよく言っていました。

5.5年前に、徳島に行った時、おじいちゃんは「おとうさん、おかあさんを大切にしなくてはならんぞ」と言っていました。

僕に対する最期の言葉が「おとうさん、おかあさんを大切にしなくてはならんぞ」です。一生、忘れないでしょう。だけど、未だに守れていません。ごめんなさい。

ゲートボールを愛していたおじいちゃん。神社の管理や町内の活動に積極的だったおじいちゃん。創作が大好きだったおじいちゃん。

晩年、家に帰りたい、帰りたいと言っていたけど、なかなか希望が叶えられなくてごめんね。でも14日に眠ったままだけど、帰ってきたね。ゆっくりと自分が建てた家で休んでね。

最後に、この写真僕が6歳の時、父方の実家近くの神社で撮ったね。今、この場所は移転しちゃったけど、写真は想い出を記録しているからずっとあの時のままだね。

人生につまずいて、膝を抱えてしまう僕だけど、おじいちゃんのこと、忘れないから陰ながら見守っていてください。

あと、おばあちゃんはまだまだ、大丈夫なので、しばらく、「独身」生活を楽しんでください。僕もおじいちゃん位の年齢になったら、そっちに行くから。

本当にありがとう。今度、徳島に行ったら、お参りするね。その時は笑顔で迎えてね。

合掌。。。