心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

入院しちゃった。。。

8月19日から25日まで、入院していました。臀部挫傷で。18日に洗面所で強打し、その翌日、あまりの痛さに耐えかねて、救急車で運ばれました。35年生きていて、初めての入院生活と救急車の搭乗。

僕の部屋は、救急車で運ばれた人専用の部屋、605号室の四人部屋。その入り口の左の場所だった。

病院での生活は、記憶に残すために書いておく。


6時 起床(看護士がカーテン開けて、起こしにくる。その際、顔拭き用のタオル(暖かい)を持ってくる。朝はパン(ジャムまたはバター付)と牛乳は定番。

8時(10分前)に朝食持ってくる。朝食を持ってくる前に、水またはほうじ茶のいずれかを選択し、持参してきたコップに入れてくれる。

9時から10時の間
体温と血圧を測りに来る。時には体温のみ。

12時(10分前)に昼食持ってくる。30分前に同じく水またはほうじ茶を入れてくれる。

14時から15時の間に、体温を測りに来る。

18時(10分前)に夜食配布。夜食が一番豪華に感じる。次が昼食。この昼食時に冷やしうどんが出たことがとてもおいしいく、よかった。

21時から22時の間に体温または血圧。時には体温のみを測りに来る。

22時就寝。各部屋の電気を消しに来る。

その他、朝勤務交代時に、「本日担当の○○です。よろしくお願いします。」という看護士もいたが、言わない看護師もいた。

また、本日の担当のネームプレートを部屋の入り口脇に付けるところがあるのだけど、付ける人と付けない人がいた。

夜、20時から6時は外の玄関が外側から入れなくなるけど、入り口脇のブザーで明けてくれる。

何日も入院していると、同じ入院している人と仲良くなり、色々な情報を聞くことができる。杉並区から来ていた患者さんはサッカー中に足を骨折して、入院してきたS・K君がいた。その人から貰った東京・四谷にある、十三里屋「スイートアメジスト」の紅芋を貰った。白ゴマが乗っていたおいしかった。お礼に失礼ながら、mintiaとミントガムをあげた。いずれも、開封済み。後日、新品のmintiaをあげた。

病室が蒸し暑かった。でも、実際は冷えていたのかも知れない。足がモヤモヤしていて、ムズムズしていた。身体は冷え切っていたのかもしれない。この症状は、消灯時間になると発生した。

消灯してもすぐには寝付けない。1Fのロビーに行って、週刊誌を見たり、玄関外でタバコを吸ったりした。入る時には前述のとおり、ブザーで入れてもらう。

「アソコ」が元気なく、小さくなっていた。シコっても元気なし。

怪奇現象はなし。ただ、脳神経外科の小さなエレベーターは薬が混じったようなにおいがあり、気持ち悪かった。

認知があるようなおばあさんが、消灯時間直前から深夜まで「痛いよ〜」「助けておくれ」という声で寝付けなかった。そのほうがよっぽど怖かった。だけど、23日頃から、その声は聞こえなくなった。どうなったのだろうか?今でも謎である。

夜のロビーはとても不気味である。昼間人が一杯だけど、シーンとしている。また、急患を受け入れる病院であるから、よく、救急車のサイレン音が良く聞こえた。

ベッドはパラマウントベッド、電動で頭や足がアップダウンする。

テレビは有料。ナースステーションの前にあるカードを買う。確か1枚1000円。

相部屋だと他人の寝息が聞こえる。斜め奥の中学2年生の男子の声がとてもかわいく、まるで女の子のような感じだった。自転車事故で入院ししかも自爆らしい。腕が複雑骨折だとのこと。その子の入院初日はトイレがとても恥ずかしいらしく、我慢していた。女性看護士におしっこを見られるのが恥ずかしかったのだろう。だけど、2日目には堂々とトイレに行っていたし、ナースコールでしっかりと呼んでいた。

僕の前の患者は50過ぎのおっさん。話を聞いているとどうも労災らしい。手術後の当日夜にトイレにまにあわず、ウンチをもらしたらしい。「汚してしまったんだたら・・・」とか看護士に言っていたから。

僕の横にはこの間、誰も入ってこなかった。

ナースコールをすると、部屋の入り口のオレンジのランプが光る。

そんなところです。病院のメモ書き。

次は車椅子編で。