心だけGAKIのまま

2004年からはてなダイアリーにお世話になっております。元は「永遠の少年から大人への階段」というタイトルで気ままに書いてきましたが、2019年春のはてなダイアリー終了に伴い、「はてなブログ」に移行しました。2018.11.15に移行完了。

記憶に残っている事件と断片的記憶

〇 肥田浩三 事件日1989年3月4日。小4男児を絞殺して殺害。

僕の記憶は、実家は当時読売新聞を購読していた。夕方、一人で壁あてをしてポストに入っている夕刊をみつけ読んでいた。そこには、肥田浩三の名前が。改めて縮刷版を読むまでは、彼が事件当時22歳だったことや自衛官や自動車工だということも失念していた。だけど、「おもちゃを買ってあげた」とか「小さい子とよく遊んでいた」と書いてあったのは記憶にある。なぜ、この事を記憶しているかといえば、当時僕は弟の同級生とよく遊んでいたからである。それで親に「もっと同年代の子と遊びなさい」と諭された記憶があるから。

〇 放送年代 昭和56年から60年の間。事件も何もかも全く不明だが、シーソーで遊んでいた男児が忽然と姿を消したこと。当時のワイドショーを見たからだろうか。リアルタイムの記憶がある。ある男児がシーソーで遊んでいたけれど、片一方が重く動かなかったのでお尻を押してもらったら動いたので、男児に「ありがとう」と言ったら、その姿はなかった事件。その正体は座敷童なのか、男児の幻覚なのかはわからないが、その後のインターネットでも出ないことから真相はわからん。だけど、確かに僕はリアルタイムで見たことははっきりしている。


〇 放送年代 昭和58年。僕が小学校に入学する直前の番組だったと思う。そうなれば、僕と同級生だ。その番組は1時間くらいだったのか30分くらいだったのかはわからない。だけど、最後に園児が大勢走りながら音声だけは別収録で、「僕は大きくなったら、野球選手になります」とか「お嫁さんになります」などといった締めくくりで終わった記憶がある。あの頃の園児もそうだとしたら、今頃はパパ・ママの世代か。ぜひ会ってみたい。

〇 D製作所の火災orガス漏れ。

〇 みんなのうたで歌詞の中で「アネキのマネをして・・・」と言ったような歌詞。アニメーションだった記憶が。どのサイトでも見ない。あの歌はいったいなんだろうか?誰か教えてほしいです。